語録集
故宮澤秀巖先生が遺したお弟子様への師事語録の一部。
美術品、芸術品の定義。書の次元の完成。現代日本において失われた教養への警鐘など、
秀巖先生の書に対する探究・究明の姿勢が窺えます。
「天地玄黄」
明け切った朝の希望より、玄黄の刻に育生の気が漲る。昼下がりの花には魅力が無い。物事はすべて完成し切ると娑婆を知り尽くした妖婦の裸を見せ付けられた如く嫌気さえする事も有る。専好の花には未完成の動きが見られる。
明治立華は技功的上最高の地位に君臨する。書の技術も之と同じ。芸術とは哲学的、精神的、に最高の極に達しなくてはならない。技功上の完成を狙っても其れは邪の世界に落ちる。森羅万象、すべてのものは、停まる事なく動き生き続けて居る。心せる未完成の美、森羅万象と一体となって求める覚り。其処から生れ出ずるものこそ芸術品となる。
戦後猫も杓子も芸術と言う言葉を使い、自己満足の、人に解らぬ訳の解らぬ物さえ創れば芸術作品だと主張し、思い込んで居る人間が巷またに溢れた。日本文化の下落であり、地に落ち果てし結果である。道義の退廃せる者達には技術の作は出来ても芸術作品は創り得ない。